宮川漁法ミュージアム

宮川流域の漁法・水辺の暮らしの聞き取り

宮川を楽しみ、宮川と共にある ~川にとんで行った青年時代~

大瀬忠義さん

1.自己紹介

生まれは、昭和12年で78歳。職業は林業。木を伐ったり、架線(*1)を取ったり、木材を運んだりという仕事をしてきた。25歳の時には大型自動車免許を取って、トラックを運転して木材を三瀬谷や松阪に運んでいた。5時頃に仕事から帰ってきたら川にとんで行って、家に居らんかったな。夏の事やと7時ぐらいまで川に行っとった。親は、今の家より少し上流ところで豆腐屋をやっていて、今の古ヶ野に引っ越して来たのは、小学校3年生ぐらいだったが、行っていた川は家の前の同じところ、もう他所(よそ)に行ってもよう捕らんし、自分の巣って言って得意なところがあるやんか、そんなもんで、そこばっかりしか行かなかったな、昔から。川にも縄張りみたいのがあって、権利とかではないが、先人が居ると行きにくいもんでさ。

(*1)山の中に張ったワイヤーでの木材の収集方法

2.宮川の伝統漁法“しゃくり”( *2)

昔の川は今と変わって水が多かった、古ヶ谷出会いの瀬も水が多くて越せなかったで、小さいときに遊びに行ったのは、大方、谷だったな。

古ヶ谷という谷に、アメゴ(アマゴ)がようけ(たくさん)いたので、小学校の時分からようしゃくりに行った。アメゴは、なかなかしゃくらせてくれへんもんでな、背中の方は、結構皮が固いもんで、腹の方からそっと持って行って腹の柔らかいところに引っ掛ける。アマゴは活かしたまま持ってきて、うちで飼っていた。エサをやると大きくなるもんで楽しかった。

本流のアユのしゃくりは勇気さえあったらいつからでも行けた。中学生頃から始めた。あの頃は、人間がようけおって誰でも教えてくれた。行くと必ずアユがおるところがあるんや、捕ってきても、また、あくる日にはおる、やっぱり魚も住みやすいところがあるんやな。最初は箱メガネだった、くわえてあのきつい瀬でも流れてしゃっくた。きつい泡とんぼ(*3)へ入ってってさ、流れに逆らって立ってんのもいっぱいぐらいのところでも、アユ捕りをしおったでな。それも今やったら水中メガネでええけど。前は、箱をくわえてさ、水の流れに逆ろうて、もう泡が流れこむもんで見にくくてな。水中メガネちゅうと頭をずーと突っ込んでってするもんでええが、箱メガネは、潜るわけいかんもんでな見にくかったな。

あの時分のアユは、だいたい、こういうところ逃げ込んだら安全やっちゅうことわかってたもんで、泡とんぼの中に入っていきおったな。泡とんぼの中で、もうたり(舞ったり)なんかしておるけどな、それで、だいたい勘で引っ掛けよった。“ひっかいてみよう!”って、ひっかいたらかかることもありよった。 あの時分はみんな祭りみたいになって行っとった。解禁日は特に朝早く未明から行った。 しゃくろうと思ったらなんつても捕りやすいよって、解禁日に行くのが一番いい。せやけど、解禁日以降になってくるとアユもなかなか賢くなってくるよってさ。逃げてガマ(*4)の傍にしこる(*5)ならいいけど、石の間をぷるぷる~としといて、それでひょーと行きよった。ぷるるるとしてる間に捕らな、もうチャンスはなかった。石の向こうに回ってて見えん奴でも上手な人たちは勘で合わして捕りおったな。大きな奴はすばしっこくてな。今のアユから想像できないくらい、本当に大きかった。80目(*6)から90目くらいのポーと背中の盛ったすごいもんやった。一匹捕るとあ~もう、やった!っていう感覚、満足感があったでな。

川に行くときは草鞋やったでな、草鞋は、ナメ(*7)の上に乗っても滑らんでんな。ようけ使う人は一足背中においねて(背負って)行きおった。竿先に使うゴムの紐と草鞋がなければしゃくりにならなかった。

小さい頃は、ウエットスーツなんてもんありへんでな、毛糸のセーターを着てバッチも履いてしゃくりに行きよった。寒いもんで震って火を焚いてもらっとって、大方、火にあたっとりよった。俺の最初に着たスーツはな 今みたいなのとは違って、裏はなんもついとらん、つるつるのゴムのやつでのちょっとやそっとでは脱げんのやで、今は裏地がついとるけど、ゴムだけのやつやで、ペタッとついて脱着がほんと一人ではできんで。あれはピチャットつくもんで温かったよ。あれ着たことによって釣果は増えたな。

(*2)しゃくり 竹竿の先に付けた一本針を魚の体に引っかけて捕る漁法。

(*3)泡とんぼ 泡の立つ激流

(*4)ガマ 岩のすき間、窪み、穴

(*5)しこる 逃げ込んで動かない。

(*6)80目 約300g(1匁=3.75g)

(*7)ナメ アユが食べる岩の表面に生えたケイ藻類。

3.ウナギ捕り“差し込み”

ウナギの差し込みの仕掛け

ガマの中にて、竹の棒なんかで、エサをずーと差し込む。差し込みの仕掛け(*8)には石をつけるとこがあるので、石つけて置いておく。明くる朝まで置いておきおった、入れた時の状態はさ、糸がたるんどるやんか、せえけどかかってるやつはなピーンッと張っとた。夕方掛けといて朝上げに行って、それがが楽しみやったんさな。

大体、良いところはわかっとるでな、最近は、だいぶ荒れてしもうたんでわからんけど、昔は決まっとたもんな、どこの穴がええ穴とか。去年はこの穴で捕ったんで今年も捕れるやろ、と言ってやりおった。淵も瀬もどちらも良かったなぁ。深いところは大きな奴がおった。仕掛けは、30本ぐらい仕掛けた。多い時で50本も60本もつけよったよ。70本ぐらいつけたこともある。もう仕掛けた場所を忘れてしまう、目印がたよりやな、あんまり遅くなってくるとさ、差し込みなんかやっとれんもんで、ここら良いとこやなと思ったら、ポーンとほって帰ってきた。暗うなるまで差し込みしよった。帰りが、遅くなったときは、早よかけたやつはもう食いついとった。70本からつけようと思うと、どうかすると500m以上歩きよったな。

50本つけて、10本ぐらいは捕ったことがあった、二割やが。ちっちゃくてもみんな持ってきよった、たまってくのが楽しみやった。飼うとくことが楽しみで捕ってきた、せやで水槽を覗いたらうようよしよった。

ズガニもよく捕った、わしのやる差し込みってのは、カニの穴とウナギの穴を間違って差し込んでしまうとカニが先とって食べてしまうもんでな。カニはかなわない、針ごと切って持って行ってしまう。大きなカニもおった。カニの巣は一見したら分かりおった、新しい砂を口に掻き出してきてな、カニが中に入っていくので。ウナギは、砂も何も出さへん。カニは巣の前に砂を盛っとりおった、そんなところにエサを放り込んでおいてもウナギが掛かることもあった。

古ヶ渕では、はえ縄(*9)を舟でやりおった。網の始めをたぐるとわかる、かかっとるときはちょっと触るとふわ~と手ごたえがある。大きなものがかかったこともあった。

ウナギ捕りは、子どもの頃からやっていた。3月下旬頃になってくると、川でなコロコロ~て蛙が鳴く。あれが鳴きだしたら、夜づけ(*10)をしてもええっていう、ウナギが捕れるという合図、あれが鳴き始めたらみんな夜づけをした。

(*8)差し込みの仕掛け 
凧糸を使い作られ、針の少し上の部分で取り外せる仕組みになっている、また針の反対側の糸の端は、輪になっていて重石の石を縛りつける。

(*9)はえ縄 
漁業に使われる漁具の一種。1本の幹縄に多数の枝縄(これをはえ縄と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけた構成となっている。

(*10)夜づけ 
夜間にうなぎなどを捕る漁法の総称。

4.差し込みのエサはドジョウや切り魚

三角形の網

夜づけのエサとして、イシャド(カワヨシノボリ)よりも釣果がええのはドジョウだった。足で追って三角形の網で捕った。向うに受けといてな、足元の石を足で起こしたりしてな。ドジョウはしゃくったり、小さいタモ作って捕ったりもしよったよ。タモですくえた、箱メガネで覗いてぽっとタモを伏せると、うまいこと上にちょいと飛び上がった。地獄針という返しのついた針を竿を先に縛りつけて固定したもんで、チョーんとしゃくても捕りよった。しゃくっといて、空瓶の中に先を放り込んで捕獲しよってん。ようけ余ってくるときは飼うときよった。普段から溜めといて、ミミズでもそうやった。70本も80本も夜づけしよう思ったら一遍にはよう捕らんよってさぁ。

エサとして使ったドジョウはアジメ(アジメドジョウ)。下流の方行くとタドジョウってのもおるが、ちょっと大きいもんでな、エサには向かんのや。ウグイでも小さい奴をさ、三つか四つに切ってそれで夜づけのエサにも使いよった。アユはええけどさぁ、傷みやすいもんで、よっぽど夕方、遅うにつけてするんだったら良かったけどさ、あんまり早くつけるとウナギが出てくる前に腐ってしまうもんで、あんま切って使わなかったけど、なかなか捕れないウナギはアユを使いよった。ウグイやとか、腐りにくいエサは、朝まで置いてもどうこうないちゅうてよかったな。シラハエも案外傷みやすい魚でな。ネギッチョ(カワムツ)がよかったねん、ネギッチョのエサは、食いついたら獲物が大きかった。

谷にするんやったら、青ミミズを7か8つに切って使った。土用時分に良く出てくる。それを本流で使うと小魚がとってしもってな、大将がくるまで残っていない。本流は、ドジョウや切り魚やなやっぱり。

5.仕掛けを使った魚捕り“モウジ”(*11)

ウナギモウジ

子どもの頃、モウジとか作ったりしょった。丸い小さいのを作って、川の瀬に下流側を広げた魚道みたいの作ったって、網の所だけせもうしといて置いといたると、そこに集まってきて入ってきよった。ええ道を作ったったら、どんどん集まってきてな。仕掛けるのは、春先から夏にかけてやな。一週間ぐらいの単位であげよったな、いろんなものが入っとりよったよ、イシャドばっかりじゃなくてカブ(カジカ)とかさ。モウジの形は、個人の作り方によって違った、真ん中は膨らませて作れって事は言いおったわ、一緒なんやけどな理屈は。カケゴ(*12)は、ウナギの場合は、2段になっとるでな。長いやつと短いやつ。カケゴを作るのが難しくてな、あの外側の短いやつはええんさ案外簡単で、厚い竹でええもんで。内側にあるもんが、長くて最後は閉じるような形で納めておかんならんで、最後が狂うとったら逃げてしまうやろ。最後は、ぴしゃっとひっついていてもいいんさ、入っていくときは開くように薄~くなっとるで、ウナギがしゅるると入っていける状態にしておく。せえけど作り方が悪いと開いとったりなんかして逃げることがあった。せやで、内側のカケゴを作るのは結構神経使いよったな。ちょっと川が濁ってきてな、ちょっと水が出てきた時分には、よう入ったことがあった。モウジの中がもういっぱいになってきてな、そん中で泡吹いておるんや。

ウナギモウジは、結構流れのある所でもよかった。座りのええように整えて、横に石を並べて、上にはモウジが流れていかへんように大きな石を乗せる。モウジを置く向きによって入る入らんが随分変わってくる。横向いておったら絶対入らんから、水の流れに沿って伏せておく。口は下さ、水に逆ろうたら絶対あかん。モウジは、毎朝見に行く。捕れているかは上げな分からんから一遍あげて、また場所替えてまた次の晩するようなことやったな。仕掛けるのは秋口やな。

エサは、竹の棒にミミズを10匹か20匹か挟んで、モウジの一番奥に止めとく。それにおびき寄せられて入ってくる。麦わらミミズってゆうて縞のあるミミズ、普通のミミズじゃなく、縞のあるやつ。だいたい大きさは決まっとる、15センチぐらいの長さで体の全体に縞がある。

モウジを仕掛けるのが深いところだったら、横に鉄の棒巻かせたりした。そのまま沈めんと柴(*13)を周囲に付けたって、これがモウジだってわからんようにしといて沈めたりしよったな。目印に紐つけといて上にちっさい棒でも浮かしておくんさ。 秋になってくると「くだりモウジ」ちゅうのをした。下ってきた奴を大きな口で受けるように作った、下りモウジは、流れの一番きついところに掛けるんや。あれはだいぶ前で、マスなんかがおるときの話だが、下ってきたマスや大きなアマゴなんかが下るのを捕った。モウジの全長は2mぐらいあった。 つけビン(*14)もした。ハエやウグイを捕った、エサは糠を炒って使った。味噌も入れおった、そうするとドロチョ(アブラハヤ)がよく入った、ドロチョは谷に行くとよくいる。

つけビンは、中学校時分に良くしたが、大人になっても夜づけのエサを捕るのに使った。夜づけのエサは、イシャドでもいいが、本当はドジョウがええんやけど、簡単には捕れない。

(*11)モウジ 魚取りの道具。竹製で魚が入ったら出にくい仕組みになっている。

(*12)カケゴ モウジの入り口に付ける先を窄めた筒。一度通ると戻れない仕掛け。

(*13)柴 葉の付いた小枝

(*14)つけビン 透明容器の中にエサを入れ、水中に沈め魚等を捕る仕掛け。

6.子どもの釣り“カンパチ(ナマズの仲間)釣り”

子どもの時分にはメメス(ミミズ)を持ってって、畑にいるのを短く切った。ようけおってな釣るのが趣味やったな、面白いんやな、カンパチを釣るのが。一匹釣れたら、もう何匹とおんなじ穴から出てきよった。大きな岩、ガマがあるやろ、そこらの前にエサを垂すと、しゅーと出てきよった。いくら釣っても釣っても本当に随分一晩で釣りよったな。まあドロッチョもそやけど。子どもの時分なもんで、竿といってもええ竿はないので、そこらいって竹伐ってきて作ってやりよった、どんな竿でも良かったんや。

7.春に漁“つきウグイ(*15)”

つきウグイも投網を使ってよう捕った。使う投網は頭が三角になっていて、投げると丸くなるやつ。まず、ウグイの産卵場所を作った、今は河床が上がって来てるで下から細かい石があるけど、あの時分は少し掘ったら岩盤だったで、初めはちょっと荒い石を入れてだんだん細かいのを入れていった。大体、つきそうな所にはついた(ウグイが産卵しに集まってきた)、こちらも考えて狩猟のしやすい場所に作った。多づきするとたたみ二枚敷きとかに、それも層になって何段にもついた。上から見ると真っ黒になっとんのな、塊になって。それを網を持ってって、がばーっと捕ると、100匹ぐらい捕れよったな。それまた、2遍目、3遍目と固まってくるにつれて、みんなが取り合いしよった。変わり交代に捕っとった。砂やら石やら運んで川をみんなで綺麗にしとるやろ、その作業をした人らが変わり交代に網を投げ入れる。何回、何回しても黒うなってきた、上から見とって「あ!集まってきたにゃ」つうもんで捕りに行った。捕れるときはもう一千匹ぐらい捕れよった。その頃のウグイは、オンタ(オス)は、チチ(精子)持って、メスは、もう卵ばっかでポンポンでな、ワタを抜かんとそのまんま串刺して焼きおった。卵が出てしまうもんでな、腸(ワタ)取るんでも、ちょっと切って抜いた。ウグイを食べるときは、煮つけよったな。焼くのも美味しかったな、案外と。焼きたてを食べるのがうまかった。串に横に10匹ぐらいを刺しおった、一本の串をちょうどウグイの頭から1/3ぐらいのところで。しっかり焼けないうちに、動かすと回りよった。昔やで、ヒノキやナンテンの葉で包んだり、ちょっと飾って使いもんにしよった。時期になると、自分の兄弟や町に行っとる人に贈ったけど今はそんなことせんな。

(*15)つきウグイ ウグイが遡上し、産卵場所に群れて集まること。3月末~5月



宮川を楽しみ、宮川と共にある ~川にとんで行った青年時代~ 終了



細渕清一さん写真

宮川と共に生きた川漁師 
~明けても暮れても雨でもアユ捕り~

細渕清一さん

生まれたのは昭和9年。昔っから同じ場所に住んでる。家族は祖父母、両親、わしは・・・

松林堅さん写真

活気あふれる宮川と川漁
~自然を見つめ、工夫と努力を重ねた魚捕り~

松林堅さん

生まれたのは、昭和9年。今、80歳やな。8人兄弟の四男坊。その時分は・・・

中川宗夫さん写真

清流宮川の眼鏡引き
~鮎がえり滝の歴史を今に伝える~

中川宗夫さん

名前は、中川宗夫(なかがわむねお)。昭和4年11月15日生まれ、87歳。数えで・・・

大西 学さん写真

ウグイ捕り
~お父さんの網を引き継いで~

大西 学さん

生まれも育ちもずっとここ、大杉育ちやな。大正15年生まれやでもう90歳になる。通ったのは・・・

宮川の伝統漁法BLOG
ページのトップへ戻る
QLOOKアクセス解析