宮川漁法ミュージアム

宮川流域の漁法・水辺の暮らしの聞き取り

宮川と共に生きた川漁師 ~明けても暮れても雨でもアユ捕り~

細渕清一さん

1.清一さんの子どもの頃

生まれたのは昭和9年。昔っから同じ場所に住んでる。家族は祖父母、両親、わしは長男で、6人兄弟。小学校は大杉小学校。久豆(くず)へむいて中学校まで通ってた。終戦は5年生の時、途中で尋常小学校から大杉小学校に代わって、わしらが中学1年生になった年には中学制がひかれた。だから中学校へは3年間通ったよ。先輩たちは高等学校で、2年で卒業やったもんで、損した気したわ。

学校帰りは山へ行って、カキやらミカンやら採って遊んどったわ。そいで、家からトントンと下りてったら川あったんやで、ちっしゃい(小さい)頃から遊ぶのは川ばっかや。近所には子どもらもいっぱいおったし。アユやとか、ウナギやとか、ギギはネコギギっちゅうんかあれは。他にウグイやイシャド(ヨシノボリ)やドジョウ(アジメドジョウ)やのって、この下にいっくらでもおりよった。そんなん捕ったりして、川は遊ぶことはいっくらでもあったよ。

2.「おげ」の子は「おげ」、三代続く川漁師

家に行ってもおらん、川を見たらだいたいおる。そんな川好っきなもんの事「おげ」って言いよった。お爺さん、親父も川が好きで、じっと(いつも)川行っとったで、ありゃ「おげ」やわな。終戦が5年生の時で、その時分はもうアユ捕り始めよったでな。お父さんに連れってもらって川にはじっと行きよった。「おげの子はおげや」って、よう言われよった。

うちは、お爺さん、親父と、おれで三代目の川漁師。夏の漁のシーズン終わったら冬は山仕事や。

3.アユ漁で家族が1年暮せた時代

昭和24年度で中学卒業、15歳からずっと親父について山へ行きよった。林業っていうか、山仕事っていうか、今まで山一筋や。そいで6月になったら山は完全休みで、アユ捕りしよって、毎日、明けても暮れても雨でも、増水さえなかったら川ばっか。そのアユはよう売れよった。アユ捕りは、お爺さんも親父も上手やったよ。俺も人に負けんぐらいやるし、男兄弟もみんなする、みんな上手や。

それから昭和42年に三瀬谷ダムができたで、アユ漁で一年半、楽に暮らせよったのはその時分までやわ。いくら稼ぎよったかは分からんけど、とにかく親父と捕って、家族が飯食えた。その時分は車があるんやなし、経費もいらんだけど。

三瀬谷ダムができてからもしばらくは稼ぎよったけど、その時分は一人で捕りよった。弟が帰ってくると二人なり三人なりでやりよった。

4.アユがたくさんいた時代

アユなんか三瀬谷ダムができるまではいっくらでもおったんやで。足の踏み場もないくらいおったんやで。おらが小さい時、狩川(かりかわ)(*1)で木出しよったんさ。水中眼鏡して川潜ってって見ると、太い材木の下にアユが右往左往しとった。捕るったっていっぱい、いっくらでもおった。

うちは瀬のアユは捕らんと、淵ばっかやった。瀬にも大っきいのはおったけど、淵のアユはもっと大っきいで。やっぱり棲み良い所に集まるで、瀬のきついところで成長したアユが淵へむいて下ったり上ったりするよってに、大っきいのいっぱい捕れよった。

(*1)狩川(かりかわ) 川の流れを利用して木材を運ぶ方法。
     昭和10数年頃まで、宮川上流では材を流した。

5.アユを捕る方法

アユを捕るのはしゃくり(*2)、しゃくりは追いかけてって、ちょーんとしゃくって(引っかけて)くるで早いし、ようけ捕れるわな。友釣り(*3)みたいな掛かるかどうか分からんもん昔はせんだ。刺し網(*4)もしよったけど、それはアユ傷ついて商品価値がなくなるよって、急にアユが欲しい時だけしかせーへんだわ(しなかった)。

(*2)しゃくり 竹竿の先につけた一本針で魚を引っかけて捕る漁法

(*3)友釣り 川を泳ぐアユの縄張り内に、オトリのアユに掛針をつけて進入させ、
     体当たりしたところを引っ掛ける漁法。

(*4)刺し網 網目に魚の頭部を入り込ませる網

6.アユを捕って売る・仲買人

三瀬谷駅前にアユを買いに来る仲買人がおった。今は無いが、名前は忠八屋(ちゅうはちや)。それが人使うて買いに来よった。仲買人は佐原から自転車でここまで来た。宮川ダムの工事をやり出した27年頃からはバイクできよった。シーズンの間は毎日毎日、荷台に氷を詰めた木の箱一つくくって、箱に大きいままの氷を入れて、溶けないようにおが粉を入れて持って来よった。アユを入れる時はおが粉を取って、木綿の袋にアユ入れて、箱に入れよった。そいで、氷を割るキリを持っておって、氷を割って入れる。木がふやけてくるもんで水は漏らん。小っさい箱で2~3貫(*5)(8~10キロ)くらい。5貫も6貫も入る大きい箱もあったんやで。1日でアユを10貫、12貫と捕ると、仲買は日に2回、三瀬谷駅前まで運ぶんや。午前中にアユを箱に入れて運んで、午後にもう一回、それも自転車やで。

昔のアユは天然遡上で伊勢から上がって来よった。宮川ダムの上、第二か第三の乗船場の辺りに橋立(*6)って言うとこあって、そこまではアユの質が良かった。そこから上流に行くとアユが白っぽくてあかん。仲買人は橋立までアユ買いに来よったけど、ここから上のアユは捕らんといてくれって頼まれた。

昔のアユは身も締まっとるし、名古屋持って行ったって、宮川のアユはトップクラスや。長良川やら揖斐川、木曽川どうのこうの言うても、足元にも及ばなかった。栃原やら下流の方のはアユ買いも買わんだらしい。あんまりええことなかったって。中でも、質のええのは宮川上流のアユやわ。 

(*5)貫  重さの単位、1貫=3.75㎏ 

(*6)橋立 橋立から三瀬谷駅まで約36km

7.アユ捕りの時期・時間

昔は6月1日からしゃくりしよったん。しゃくりも友釣りも解禁は6月1日。友釣り区域を残しといて、それ以外の所はみんなしゃくりよった。シーズンが終わるのは、9月の秋の彼岸頃までやったな。それ以降になってくるとアユの値段も悪なるし。値段のええのはやっぱり盆までやわ。盆からでも暑いよってに川へアユ捕りには行きよったわな。せやで仲買人も仕方なしに来よったで。春の、解禁の折にどんと買わんならんで、損してでも買わんなん。三瀬谷ダムが出来てからは、しゃくりが6月1日に解禁にせんようになってしもうて。7月とか、8月のしゃくりの解禁の日まで友釣りしよった。

アユ捕りは朝早いわさ。そんなん遅ても川へむいて7時ごろには行きよったで。仲買人が10時過ぎに来よったで、朝は早よからアユ捕って、持ってってもらう。その代り夕方上がるのは早いよ。3時には2回目のアユを持ってくで。まぁ、ウナギ釣ったりすると川には遅までおりよったけど。アユは巻いた網の中にいくらおったかって(どれだけ沢山いたことか)。大っきいやつ捕って、全部捕らずに小っさいやつはみんな残してきた。何回捕ってもアユが淵の同じ所にむいて寄ってくるん。

8.アユしゃくりの道具

しゃくり竿は、もちろん手づくり。いい男竹(おだけ)を選んで採ってきて、乾かしてから作る。竿先から70㎝ぐらいのところからゴム紐がくくってあって、ゴムひもの先のしゃくり針を竹竿の先端に刺す。アユを引っ掛ければ針が竿から外れるもんで、ゴムが伸びて針からアユが外れんとおる。竿の中には太さ1㎝ちょっとで、長さ1mぐらいの鉄柱を入れてある。流れとっても、深くても持っていられるように。引っ掛ける時にバランス(竿が跳ねないように)ええような工夫してある。真っ直ぐに近い竿はしゃくりにくいので、竿先40cmぐらいは曲げてあって、曲げる角度は急でなく自然に曲げといた方がアユのかかりがいい。せやけど悲しいかな岩の中へ入っとるやつをしゃくりに行くと角度によっては竿が入ってかへん。横向けたり、下から入れたり色々やってみるけど。竿の曲がりも人によって色々流儀あるわさ。竿の長さは普通4~5m。舟の上からしゃくる時は深さに合わせて10mぐらいの竿も使う。


箱メガネ

箱メガネは水の中のアユを見るのに使う。口に咥(くわ)えるもんで、流れの強いとこで漁すると、夜は歯が浮く。箱メガネも手づくり。杉の板で作る。咥えたとこ歯で噛んだ跡がついとるやろ。

アユを入れるタモは“シャデ”って言って、目の粗い、アユが出ていかんぐらいの網目で出来とって、アユが水に浸かるぐらいの感じで腰につけて歩いとった。アユの元気なやつは飛んで出てくよって、出てかんようにように、細い竹に紐通して、口が開かんように簡単に途中を絞れるようにしてあった。丈は70㎝ぐらいあって、アユが50匹ぐらい入りよった。

アユがたまると途中にガンガン(*7)置いとって、浸けて生かしておいた。

(*7)ガンガン

網の口を絞る竹の細工

9.アユ捕りの服装

結婚した時分、昭和25年前後まではスーツ(ウエットスーツ)なかったんやで、川に行くのは毛糸のシャツ、ズボンも毛糸で、モモヒキによう似とる、するっと履けるのあったんやわ。暑い時期はパンツいっちょう。スーツやら着て無理して捕らんでも、アユはいっくらでも捕れよった。スーツ着なかったら潜ってくのもずいぶん早いで。スーツは浮くで、今は錘(おもり)も結構つけないと潜れん。

スーツ着たら寒ないから捕り過ぎるっちゅうて問題なって、一着に対していくらっていうスーツの鑑札ができた。俺が買うて着とる時は、まだそんなにみんな着とらんだ。裏にジャージがついとったけど寒かったよ、ガボガボで。裸よかええけど。

10.アユの見つけ方

アユがおるとこは、自転車で道を走りながら見る。アユのおるおらんは、岩のナメ(*8)剥いどるよってにこれは絶対おるよって、経験で分かる。波で見えん時もあったけど、アユの姿も見えるし。そりゃ、あぶれる時もあったで100%ってなことはなかったよ。最近では百匹ぐらいおるわって驚くけど、その時分は淵に何百ってアユがおりよった。カラスキ谷のトイレの下の淵は、二日も三日もアユ捕りよった。天文学的数字やで、天然遡上でアユの上がりよったのは。みんなそれぞれよく行く漁場があって、早いもん勝ちでみんな捕りよった。

(*8)ナメ アユが食べる岩の表面に生えたケイ藻類。

11.深い淵でのアユ捕りの方法

わしらは淵でしか捕らんだ。瀬で捕らんでも、淵にアユがいっぱいおった。どんどん上がってくる。今ではスーツで浮いてしゃくるけど、昔は深い淵でアユを捕る時は、舟に乗って捕るん。舟から水眼(箱メガネ)で覗いて、舟の下におるやつをしゃくる。舟に乗るのは一人か二人やわさ。カンコという舟の真ん中にあるアユを入れる生けすを挟んで、前と後ろに分かれて、二人一緒にしゃくる。錐でカンコの床へ20も30も穴あけて、両側にも穴開けておくんや。銅線で網を編んで、アユが出てかんように網を中から釘で打っとくん。そうすると下から水が入る、横からも入るで水が通うでアユは死なへん。カンコの蓋にはタバコケースぐらいの大きさの口があって、その口からしゃくったアユを放りこみよった。せやけど元気なやつは、この穴からでも飛び出しよったん。隙間あると全部飛んで出てくよ。

舟に巻き網(アユを囲み込む網)を3反も4反も積むん。後ろへ積んだり前積んだりして。横へしゃくり竿何本も置いて、ノリ竿(舟を漕ぐ竿)置いて。舟はコウヤマキや、長持ちする。乗るとこにはちゃんとゲス板が入っとる。水がある程度入ってきてもベタベタに濡れん。砂も入るし、ゲスなかったら砂の上で膝が痛とうてかなわん。

しゃくり竿は深さによって竹を足す。10mの淵でもしゃくるんやで長い竿で8mはある。4mの元をつけて、穂も1.5mぐらい、入れる鉄球も重たいし。さらに2m~3m位のパイプ足して、それでこわい(深い)とこのは捕る。

アユ捕りのお昼は、握り飯持ったり、弁当持ったり。舟の後ろに入れるとこちゃんとあって。蝶番きゅーっと開けたら何か入れるようにしてあって、そこに入れていきよった。

12.巻き網を入れる

広い淵でアユ見つけると舟に乗って、巻き網を入れる。巻き網は、下に錘、上にアバ(浮)がついて、水ん中で網が立つようになっとる。まず1反の網を、アユを寄せたいとこのちょっと下へ「受け網」として入れる。受け網は、端っこを川の両岸の石へくくっておく。舟の上からだんだんと「寄せカギ」で突きもって、網入れていくん。「寄せカギ」は4mか5mぐらいの竹竿の先へ鉤(かぎ)(*9)の手にした針金をつけたもん。次にもう一反の網を上流に入れて少しずつ引っ張って、すーっと上流から網の裾を持ち上げないように引っ張って網を寄せてくる(*10)。網を持ち上げたらそんなもんアユがいっぺんにサーっと逃げてしまう。アユはそんなちょこらちょーのもんと違う。

アユが寄せとる上の網んとこへ来ると、しゃくりもって(ながら)やりよった。どれぐらい狭めるかはしゃくる場所によるよ。ここらへ巻こかいなって思ったら、左岸やったら左岸の岩の割れ目へ鉤を差し込んで止める。そうして、右岸の網の端を受け網と隙間空かんように寄せて来るん。岩のあるとこへむいて網を寄せる。そうすれば、アユが大人しくしとるで。何も無いとこへむいてしったって、アユは逃げてっておらへん。アユが好きなところへ寄せたらなかなか離れない。水の流れの加減と思う。

網は深いとこですると、水面から網までの間は空いとるが、上で舟がガバガバしとったら、上へ向いてはよっぽどでなかったら越してかへん。

この頃はスーツでさ、浮きながらしゃくりもってできるで、アユもあんまり騒がんけど、昔、舟なんかやったら、どうしても舟の胴体が大っきいよってに、影なんかやっぱり動くし、しゃくってる間に舟も流されるで手で漕ぐし、驚いたアユが走っとった。

水がきつい時は舟が流れんように川へむいて、錨(いかり)を置くん。舟のハナ(前)に菅(かん)って言って、Uの字になった釘を打っといてあって、そこへ錨の紐が引っかけてあった。舟の横っちょにも菅が二つあって、紐を2本かけといて、両岸の石にくくってあった。上手いこと両岸へむいて、どっちにでも行けるようにしてあった。しゃくりながら、舟が流れてかんように、コボルコボルっちゅうけど(って言うけど)手で水かいて漕ぎもってした。色んな方法があるけど、昔はそんなふうにやりよった。

(*9)鉤(かぎ)  先の曲がった金属製の器具で、物をひっかけるのに使う。

(*10)巻き網の寄せ方の図

13.アユとの駆け引き

深いとこで、長い竿で捕るのは難しいかって、それはもう一つの勘やな。一番深いとこで12mぐらいで捕りよった。このアユやったらどうもこんな風に動く、こういう風に動くってわかるよ。竿の下に来るのをじっと待つわけちゃう。むちゃくちゃに竿を持っていったり、バシャバシャしたら、アユが右往左往するであかん。おるアユをスーッと追わえると、アユも逃げるけど、追われてアユがかなわんと思って返ってきた時にしゃくったりする。こちらが騙すわけやで、アユが騙されて、竿の下通った時にチョンと竿を引いてかける。アユも網してあるといっぱい群れとるで、何度も走ってくるし、竿の下をようくぐる。慣らしてったらアユなんて阿保みたいなもんやで。知らん顔してる。

14.しゃくるスタイル

しゃくる時は、舟へむいておっちん(正座)さ。あぐらではあかん。じっと(ずっと)しゃくっとるで、正座ってのは苦にならん。そんなもん、何十匹、何百匹しゃくるんやで、身体は自由に動いとる。シューっと竿入れて、その時は水眼をもう水へ浸けといて、水眼を咥えると同時にチョンとしゃくるんやで、8mの竿でも捕ったアユ上げるのは何秒かで上がってくる。しゃくったら水眼舟へ置いて、チャーッと両手で竿上げてきて、つかめる奴は掴んで針を外してカンコへ入れるし、掴めんやつは舟の縁へむいてパーンとすると針外れるわ。ペンペラペンペラ板の上で跳ねとるアユを掴んでカンコに放りこむし。一匹しゃくるのは十何秒やろ。そりゃやっぱり腕さ、技術やわ。

15.アユの捕れた量

1時間でしゃくってくれって言われて一人で3貫(約10㎏)さ。そんなんもんざらやったで。良いとこのアユやったら1匹50匁(もんめ)(*11)はありよった。アユは平均して40~50匁(150~188g)やわ。せやで手でよう握らんだ。そりゃでっかかった。3貫、4貫、捕るって、一回網巻いたらすぐに捕れるんやで。アユ買いが持ってく量は決まっとったで、それ以上は捕らん。次の日に同じとこ上がっていったって、アユはいくらでも湧いてきよった。

(*11)50匁(もんめ) 約188g(1匁=3.75g)

16.巻き網について

淵の深さによって網の丈は違うのを使った。丈の種類は、昔で言ったら6尺(約1.8m)、10尺(約3m)、12尺(約3.6m)、22尺(約6.6m)、24尺(約7.2m)のがあった。丈は「ひきたて」って言うんや。長さは「尋(ひろ)(*12)」、幾尋(いくひろ)。網の用語やな。ひきたて何尺、長さは幾尋。ここいらで使うんは25尋の網や。下流に行ったら川幅が広いからもっと長いもんもある。 網はお爺さんが、伊勢の川崎の網の問屋で買うてきた。

網は、買ってきたやつを仕立て直す。買ってきたそのままの長方形では絶対あかん。上を狭くして、裾を広く、富士山みたいな格好に仕立てるんや。川底は真っ直ぐなとこばっかと違うもん。仕立て直して、裾に余裕あったら、岩やなんやあっても、岩の下にも網が入る。

網の質は、何年か知らんけど、ナイロンの混紡ができたが、昔の網は「キヨリ、キヨリ」って言って、細いのが一本一本が依ってあった。何でできとったんやろか、丈夫やったよ。

(*12)尋(ひろ) 長さの単位、一尋=約1.8m

17.大杉の奥で親父と泊まりでアユ捕った

アユ捕りする場所はおったらどこでもさ。領内の滝谷から宮川ダムができる前までは奥の橋立まで。そこらじゅう、アユ追わえて行きよった。 木舟は三艘(さんぞう)もあって、水谷の今の漁協組合の下へ一艘。家の下へ一艘。大杉に一艘。大杉の奥に行く時はおじきが車を持っとったで、舟を積んでもらって行きよった。おれらは自転車やで。“のぞき”って小さいトンネルあるやろ、あの下にいい川原があった。親父と二人で、そこにテント張って一週間泊まっておりよった。そこからあっちいったりこっちいったりしもって昼間はアユ捕った。米やらみんな持っていって、そうすっとおじきが、ナスやキュウリの漬けたのやら、魚やら持ってきてくれた。せやけど、塩と醤油持って行ったで、アユは三度三度食べよった。ウナギはいっくらでも捕りよったし。天然のウナギはいっくらでもおった。

捕ったアユは2時半か3時ごろにアユ買いがきて持って行った。死んだアユは置いといて、塩焼きやらなんやらして食べた。飯盒で飯炊いて。夏の事やで寒い事もないし、ゴム張りのテント一つへ寝たんやわ。

親父とは仲がいいって言うんか、中学に上がるまでは舟の漕ぎ方が悪いやら網の入れ方が悪いっちゅうて、舟漕ぐノリ竿で頭コーンとやられよったけどな。それぐらいの事やわ。

18.天然遡上のアユと今のアユの違い・昔と今の川の様子の変化

アユの習性は変わらない。藻を食べて大きくなるでさ。天然遡上のは、アユの泳ぐ勢いが違う。身がしまっとるで、味は違うし匂いも違う。今、ここで天然アユって言うけど全然違う。西瓜の匂いってよう言うやろ。今のアユでも解禁当時はするけど、時期が遅なってきたら西瓜の匂いはせんやろ。昔のもんは秋まで匂いがする。天然のアユちゅうけど、すっごいもんやったで。下流の方は今でも天然アユって上がってるやろうけど、泳ぐ距離が短いから大きくならん。昔は伊勢から上がってきて、三発(*13)の奥まで上がってくわけやで、元気なアユやったわさ。

水はどこもかもすいすい(透き通って綺麗)やったで。今も三発の下に行ったらきれいやろ、全部あんな感じやった。今は工事ばっかで、もうここでは望めんで。綺麗な川やーってみんな言うけど、どうやろ、透明度は当時の何分の一やぞ。

昔は川が濁ってアユが見えない事はなかった。雨が降って増水した時は濁るけど、すぐに澄んできよったで。宮川ダムが出来てから、どうしても長島へ水取られとるし水量が少ない。小学校の時分には、向こう岸へ渡るのに、先輩に引っ張って連れて行ってもらった。

川の状態が一番悪うなったのは16年の災害がきっかけかな。あれからごろっと変わってったもん。それまでは淵でもそんな浅くならなかった。持ち山谷の出会いの淵、セイザイ淵はすっごい淵やったんやで。ナメの生えた大きな丸石、石の表面がてんてんのがゴロゴロしよったもんで、鮎がいっぱい寄りよった。今はガリガリの石やろ。その前はこんなことなかったもん。せやで、平成16年の災害が一番悪かったんやろな。

(*13)三発 宮川第三発電所。宮川ダムから10㎞上流に位置する。

18.天然遡上のアユと今のアユの違い・昔と今の川の様子の変化

アユの習性は変わらない。藻を食べて大きくなるでさ。天然遡上のは、アユの泳ぐ勢いが違う。身がしまっとるで、味は違うし匂いも違う。今、ここで天然アユって言うけど全然違う。西瓜の匂いってよう言うやろ。今のアユでも解禁当時はするけど、時期が遅なってきたら西瓜の匂いはせんやろ。昔のもんは秋まで匂いがする。天然のアユちゅうけど、すっごいもんやったで。下流の方は今でも天然アユって上がってるやろうけど、泳ぐ距離が短いから大きくならん。昔は伊勢から上がってきて、三発(*13)の奥まで上がってくわけやで、元気なアユやったわさ。

19.三瀬谷ダムができてから

三瀬谷ダムができてから、しばらくは俺ずいぶん友釣りでも捕りよった。忠八屋が鮎買い来たのも昭和40年ぐらいまでやな。わしはその後、捕ったアユは桧原の西村屋(旅館)へ持って行きよった。西村屋がアユ専門にやっとっとたで。旅館にアユ食べにくるお客さんってすごかったで。お客さんにアユの洗い(*14)を作るもんで、アユ欲しいって言われて。朝のうちに捕ったやつを30匹やらぺんぺん跳ねとるやつをもってくと、西村屋の奥さん洗いにしよったん。上手やったで。

一番ようけ持ってったのは、俺と息子と弟と、とんと(たくさん)捕った時に70キロ持って行ったこともある。あの当時1キロ5000円やったな。

(*14)洗い 魚の切身を冷水にさらして、身を引き締めて食べる調理法

20.アユ捕りは面白かったわ

アユ捕りが面白いかって?アユ捕りは生活の為や。趣味と生活の為。そうやと思うにゃ。ダムが無い時分はよかったよ。家の下でも川は本当よかった。水はきれいやし、鮎はいっくらでもおるし。アユがとんと捕れた時はそりゃ面白かった。そんなもん70キロ捕った時やら、50キロぐらい捕って、おふくろ朝まで出汁とる用に焼いとった時やら、まったく(本当に)面白かったで。



宮川と共に生きた川漁師 ~明けても暮れても雨でもアユ捕り~ 終了



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