風力発電所建設計画情報

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(仮称)三重松阪蓮ウィンドファーム発電所計画段階環境配慮書(R3年8月30日)

当校は三重松阪蓮ウィンドファーム発電所建設に断固反対しています。

ダムの功罪から考える風力発電所建設反対

大台町には高度成長期の電力需要に応えるため、1956年に宮川ダム、1966年に三瀬谷ダムと2基のダムが宮川本流に建設された。ダムは再生可能エネルギー源である水力により大きな電力を効率よく生み出す優秀な設備であり、他にも洪水調整やかんがい等の恩恵をもたらしてくれる。しかし弊害もある。伊勢湾と宮川を行き来していた鮎等の生物は、40mのダム堰堤を越えられず上流域では絶滅した。落差を使った発電のため7割の水が紀北町の三浦湾に放流され、宮川本流には本来の水量のたった3割しか流れていない。一度堰き止められた水は濁って透明度が下がった。

60年前は思いもしなかっただろう影響もある。琵琶湖の鮎の稚魚放流により冷水病のウィルスが蔓延し、ギギ等の国内移入種が定着した。伊勢湾に供給されていた土砂が三瀬谷ダムで止まり続け、伊勢湾の浜痩せが問題化し、河床勾配が緩くなり川が持つ浄化作用が弱まった。自然に人工的改変を与えるということは、その瞬間で終わることではない。あたかも見えない矢印があるかのように、事象はつながり、その影響は未来へ、他所へそして社会へと拡大しながら未だもって連鎖し続けている。

もし、時間が巻き戻せるのならば、ダムが無かった頃の本当に美しい宮川を見たかったと心の底から思う。昔の宮川は今より水量も川幅も2倍以上あって、どこまでも深くどこまでも透明で、鮎は獲っても獲っても湧いてきて向こう岸が見えないほど遡上してきたという。鮎が宮川で暮らし始めて1万年以上経つが、宮川上流域と鮎との矢印はダムがある限りつながることはない。

失われた豊かな川を語る人たちは、同時にダム建設を悔やんでいる。川は命の次に大事だったと60年
経っても悔やみ嘆いている。けれども発電所の立地は往々にして都市から遠くその嘆きが伝わることはほとんどない。残念なことは、電気とは、発電されてからどこへ行くかどこで使われるのか消費者には見えにくい性質のものだということだ。

たった今私が使っている電気の発電源がダムか、石炭火力か、バイオマスか、風力か太陽光かは特定できない。ただ、どこかの発電所で発電されたことだけが確かだ。私の使う電気の発電所の影で、誰かが故郷の川の汚れを嘆いているかもしれないし、どこかの森林が切り開かれているかもしれない。生物たちが死んでいるかもしれないし、伝統漁の最後の舟が静かに朽ちているのかもしれない。私が今この瞬間も見えない矢印を分断して作られた電力を使い、誰かに何かに影響を与えていることだけは確かなのだ。電力を使うという現実は、多くの功罪の上に成り立っている。

地球の成立とともに複雑に絡み合ってきた関係の矢印は時代や科学、知識、経験、経歴、想像力、倫理観、地域観によって見えたり見えなかったり、重要視されたりされなかったりする。だから二酸化炭素削減目標をはやるあまり、地球上に長い年月をかけて育まれてきた自然、歴史、社会のつながりの矢印を切り急がないで欲しい。三重松阪蓮ウィンドファーム発電所建設予定地は奇跡的に今まで残されてきた大切な場所であるのだから。

NPO法人大杉谷自然学校 校⾧
大西 かおり

① 意見書(当校)  PDFファイル
② 意見書 大台町長、三重県知事等  外部リンク
③ 意見書 環境大臣意見書  外部リンク
④ 意見書 経済産業大臣意見書  外部リンク
⑤ 大台町議会反対議決  PDFファイル
⑥ 最新情報・報道記事  外部リンク