宮川漁法ミュージアム

宮川流域の漁法・水辺の暮らしの聞き取り

活気あふれる宮川と川漁 
~自然を見つめ、工夫と努力を重ねた魚捕り~

松林堅さん

1.自己紹介

生まれたのは、昭和9年。今、80歳やな。8人兄弟の四男坊。その時分は8人、10人という家庭が多かった。昭和16年に小学校1年生、数えの8つで入学して、大杉小学校に通っていた。ちょうど6年生卒業する時に、中学校できたで、中学校あがって、ちょうどわしら一期生やな。同級生は大方40人近くおった。

仕事は、一人前になるまで林業ばっかりしてきた。ここにおったら林業しかなかったで。親父に引っ張られて、夏は川漁師、冬は山、炭焼きとか、山づくりに行っとたと思うんや。19の時分に土地の人らにひっぱられて、山仕事で京都へ行った。3か月か4か月おるのが一番長いんさ。仕事終わったら帰ってきて、また1カ月もせんうちに、「よそへでも行こや」って出稼ぎに行きよった。京都に行ったのが始まりで、福井県、滋賀県、しまいに九州熊本まで行った。26、7の時におれも身を固めやなあかんと思って、外に出やんようになったんや。

2.川から食べ物を得る

川っていうのは命から2番目に大事なもんやったわな。子どもの頃から青年になるまで、食べ物がなかったで、食べることには、魚捕って食えって言うから。川は自由に行って、好きなことしよったけど、魚を捕るとか、色々な道具は苦労したよ。親は働いて、金はあっても、買(こ)うてもらえるような品物が無かった。着る服でも新しいもの着せてもらったことはない。兄弟多いで、落ち(お下がり)ばっかやな。その時分はそれが当たり前ということで生活してきよった。ともかく食べ物が少なかった。魚捕るとか、間(あい)には、百姓やわな、採れるものはとっとかんだら、食べてけんのやで。その時分は魚が豊富やったで、主役はアユ、アメゴ(アマゴ)、その次がウグイ。イシャド(ヨシノボリ)やとかドジョウは、一番最低の食べもん。そやで、アユ捕りとかアメゴ捕りは目の色変えて捕りよったで。商売人が買ってくれたのはアユだけ。アメゴは全然売るとかなかった。

3.色々な魚捕り

川のことは本当に色々して、あす(遊)んだわな。川へよう行くもんを「おげ、おげ」っていいよったん。ここにおったら、子ども時分から川にでも行っとらな遊ぶとこあらへんのやもん。うちの下の深い所は5尋(*1)か6尋ぐらい、大体10mくらいあったん。川の下へ着くと同時に(すぐに)上がってこな、息が続かんだ。昔は大きなマスが上がってきて、夏になるとガマ(*2)へ入っとった。こっちの陸(おか)から石だかえて(抱いて)潜水艦みたいに潜ってって、どこまで行くかっていうよな競争して、そいでマスしゃくって(*3)きよったで。

秋になるとヨモギが長けてくるやんか。ごそっと引くと、根っこが張っとる。めちゃくちゃに引かんと、ゆっくり引く。タコの足ぐらいひらげて、その中でええの1本選んで、すーとしごくと白いテングス(テグス)みたいなのが、出てくるの。長いのやったら、20㎝ぐらいある、それを引き結びにくくって、竿の先っちょに結ぶ。昔はナメの石の上にドジョウが10匹も20匹もおった、箒ではくほどおったん。その大きなドジョウにそーと引き結びの輪下げてって、ちょんとたくって、引っかけると締まるん。昔のドジョウは頭の端へ持ってても逃げへんの。ヨモギの根っこはテングスに似とってな、しゅーとたくるとよう締まるから、ドジョウがナメついとっても(ぬるぬるしてても)抜けてかへんの。ドジョウがかかったらすぐ箱メガネみて、ちょんちょんとしたると、緩んで抜けよったん。動作は機敏にせんことには捕れん。その時分は針がなかったんで、自分と考えて、捕りよったん。そいでも20、30匹と捕りよったんやで。それをエサにして、夜づけ(*4)をしよった。大きなドジョウばっかり捕ってくる時は煮いて食べたん。

カンパチ(ネコギギ)は、杉の枝の細いやつに、針がないもんで、糸でミミズくくって、食いつくの待っとって、スーと上げると、バカなんやわ、魚も上がってきよる。針あると大きなバケツ持ってて、20や30釣るのわけなかった。そいつを頭のとこからちぎって、臓物だけとって、刺すとこ(トゲ)ナイフで切って、醤油だまりで煮いて、そんなことばっかしよった。

5歳、6歳時分になったらもう、他人の真似して、川へ釣りに行っとった。6月1日以降やったら、川で何しても良かった。アユでもアマゴでもカワムツでも、好きなように魚捕っとったらええわけやで。自分らはやっぱり夏になればアユやわな。アユおっても、しゃくりするのには箱メガネや竿がいった。捕りたいけれど、道具は作ってもらえないし、自分と作るって言うたってまだそんな技はないし。ようしゃくりもせんのに兄貴らが置いといてあるもの持っていって折ったたりしとった。

(*1)5尋 約7.5m(1尋=約1.5m)

(*2)ガマ 岩のすき間、窪み、穴

(*3)しゃくり 竹竿の先につけた一本針で引っかけて捕る漁法

(*4)夜づけ 夜間にウナギ等を捕る漁法の総称

4.自分と工夫する

小学校入った時分から、見よう見まねで、自分のアイディアで竿作っとった。兄貴に頼んだって「自分と作れって」言うて、相手にしてもらえんのやで。今は、初めから終いまで手にとるように教えてやるけど、昔の人はええことも悪いことも、教えてくれるていうことせんだ。「教えて」って聞いたら「人のええとこは盗め」としか言わんだ。

40代、50代の時は魚捕りで誰にも負けんへんだけど、小さい時分はな、自分とようせんだらあかへんださけに、考えて努力して、自然と身についてしもた。元からあの人は性質がええさけに上手になったというのはないと思う。人が1匹とっとたら、自分は2匹とろかと思うと、やっぱり色々と考えてみやんことには。昔は自分の力でのし上がろうとする人ばっかりやったで。下手すると負けるということはあったで、「あーこれ俺負ける、なめたらあかん」と精進するさかい、自分で好きなような道具作って、捕り方でも、人一倍研究してやってくで、人一倍捕るやろ。

5.子どもの頃の川

小学校入った時分は、もう宮川って言うのは水位も何かも、今の倍ぐらい広かったの、大きかったのちがう。公園淵の一番深い所でちょうど、8尋(*5)ぐらいありよったん。それでも、10m、20m向こうにおるアユ、獲物なんかみんな見えよった、本当に水がきれいやったんやに。 昔はさ、川のナメ(*6)もきれいで、水がええ(良い)がために、石という石、赤味をもったような、ええナメがはってた。今はもうナメはってきても腐ったナメしかはらんわな。そやで、その時分のアユで、親は「うるか(*7)」を作りよったんや。「塩辛」っていうんかな。それを長いこともたそうと思うとどんと塩入れて、こねといてせんことには、じっきにあかんくなってく(すぐに悪くなる)。そんなんするのでもアユの腹の中に入っとるナメでも食べられた。

アユ捕りも6月1日になったら、しゃくりやろが、網入れやろが何してもよかったん。アユがおる間は、10月の初め頃までしよったんちゃうかな。ともかくさ、ちゅうな(中ぐらいの)サバぐらいの、30cm、40cmの大きなアユがいっくらでもおったん。おんなじ宮川でも、普通の人は行けへんような、がらたんぼう(*8)には、大きなアユがおった。昔のアユって言うたら、宮川は下手したら日本一かもしれん。天然のアユがうるさいほどあがってくるんやで、捕っても捕ってもちょっとも捕ったような気がせんだんやで、減らんのやでさ。

(*5)8尋=約12m 1尋=約1.5m

(*6)ナメ 石の表面に生えた珪藻類、アユの餌となる

(*7)うるか アユで作る塩辛

(*8)がらたんぼう 岩がゴロゴロした激流

6.ダムができてからの川

三瀬谷ダム(*9)ができてからは、アユが放流になって、規則ができて、やりたい放題やれんようになってしもた。ダムができてからこっち、川が全然ちゃうでさ。何が悲しいって、ダムできたことが一番悲しいな。ダムができやへんだら、宮川はすごいとこやったろな。長良川で、あれだけアユがおるおかげでさ、観光化しとんやで。もうこれは、大杉はだんだんとしおれてったっていうのは、あのダム造った時点でしおれてしもたんやでさ。

(*9)三瀬谷ダム 昭和42年完成

7.生計立てたアユ漁

うちらは夏になったら暑(あつ)て山へ仕事に行けへんで、アユで生活たてとったん。親父らはわしら生まれる前から、舟とか網とか持ってやっとった。アユを売り買いする商売人が来るもんで、どうしても雨降って水のでやん(増水しない)かぎりは、アユ捕りばっかりしとった。ここら辺でも商売人が4、5人入って来よったん。忠八屋ていう商売しとる人が三瀬谷におって、目方にして12、3貫(約45㎏)が入るような大きな箱をつけた特別の自転車をこしらえて、三瀬谷から買いに来たん。その時分の宮川のアユは、名古屋、大阪方面の市場へ出しよったらしい。

商売人さんは一日中おらへん。朝、10時から11時頃あがってきたら、捕っとるアユ持って行ってしもたら、明くる日にならんと上がってこうへん。アユ買いが持ってくのは目方にして12、3貫。そやで、早いこと10貫(37.5㎏)以上のアユを捕らんとあかんの。朝、暗がりに連れられて行って、7時半か8時までに網を寄せてきて、それから2時間か3時間ぐらいでしゃくらならんのやで。子ども時分にいくらアユがおっても、親父が3匹も5匹もしゃくっとるうちに、1匹くらいしかしゃくらんのや。アユがごにゃごにゃしとるで、目移りして、よう引かんの。ど真ん中に突っ込んでったら針に引っかかってくれるけど、そんなことしたらアユ捕れんで。アユがうようよしとる端(へち)から端から近くのをしゃくってく。慣れてきたらほんに簡単やったけど、そうなるまでは、ひと夏はかかったでな。じゃぼじゃぼさせたら、「じゃぼじゃぼさらすな」って手がとんでくるんで、そんな仕打ちを受けんとこと思ったら、自分と上手にならなあかんのやで。

8.昔のアユ漁と大杉奥の様子

わしは学校入る時分から親父に引っ張られて、大杉の奥まで、今の赤い橋の近辺まで(約10㎞)自転車で行っとった。その時分には今のような空気の入ったタイヤと違って、ノーパンいう空気のないタイヤで、舗装はしてない土道やで、乗るんやなくて、ひっぱって歩いとるほうが多かった。

軍艦島の向こうにある隧道(ずいどう)の下あたりの淵はな、一日でアユをよう捕らへんだん。半分ずつ捕んのに、2日かかったん。そいでおるアユきれいに捕ってしまうかって言うたら、よう捕らんだん。14.5貫(約55㎏)捕ったら、もう捕らんもんで、1日あい(間)おいてまたとりよったん。そいでも、おんなじだけ、アユがごねごねごねごね。小さいアユやなくて、30目(112g)、40目(150g)、50目(187g)っていうアユがうようようしとった。その時分に今みたいな丈夫なゴム(*10)があったら、本当におもしろかったやろなと思う。自分ら子ども時分は、アメ色の真四角なゴムを二重にして使ったん。切れやすくて1日も2日も使えるとよかったん。ゴムが切れてくと、アユ捕りできんもんで、大きいアユはしゃくったらあかんってことになっとる。40目以上になってくるとアユが大きいやろ。ようしゃくっても30目までのアユやな。目方計ってしゃくるわけやないで、竿さしとって(*11)大きなアユが来たら、しゃくりとうもなってくる。「えーい」と思って、ちょんとしゃくったるやろ、アユが大きいもんで、プツンと切ってく。そうすると、ゴムが無いようになってく。そやで、切れたゴムひっぱったアユが網の中、何匹とおる。

(*10)ゴム しゃくり竿と針を繋いでいるゴム

(*11)竿さしとって 竿を構えていて

9.舟を使った漁

家の下も捕りよったけど、一回捕ってしまうと、2、3日あけな捕れんので、日にちかけて捕る場所が無かったん。奥は捕っとる人、2,3人しかおらへんだで、うちらの親父はそこへ喰い込んでいきよったん。他の人らは、親父みたいに商売しとるんやなくて、好きな時に捕っとる人で、商売にはようせんだんやろかな。この界隈では2艘も3艘も舟持ってやっとるのは一軒ぐらいしかなかった。他は1艘、持っとっても2艘。うちらも2艘ぐらい持っとったよ。奥行けん場合、ここら辺の淵や上の淵で捕っとったで、舟1艘はここ置いとかんと。もう1艘はだんだんとアユ捕りもって、大杉奥へ上がっていきよったん。舟へ荷物積んで、引っ張れるとこばっかしやない。淵は漕げるけど、瀬やったら行くまでに時間かかりよったん。昔は大徳院、大杉橋の下あたりから大和谷の出合いまで、わっけもない(*12)瀬やった。ダムが出来る前は一番荒いとこやった。泡とんぼで(*13)、川幅狭いとこで、水量が多い。荷物積んで行くと、すぐ水が入って舟ひっくり返ってくで、荷物は自分と持ってみんな担ぎ上げんだら、舟上がらんだ。獣道みたいなとこ行って、荷物持って、降ろしてきてさ。網は運ばならん、竿は運ばんならんで、一遍に持てるわけあらへんで。そいで、あそこの川は場所が悪いの、岩がきついもんで。舟上げるんでも、半日でよう上がってかんだんやで。舟を綱で引っ張っても、岩へ当たって行かんとこある。そうすと水入って舟ひっくり返るし、大騒動になるの。大杉の下部落(しもぶらく)へ着くのに2日ぐらいかかりよったんやで。

(*12)わっけもない とんでもない

(*13)泡とんぼ 泡の立つ激流

10.春ののぼりモウジ漁

春ののぼりモウジ(*14)、これは3月頃から5月いっぱいやな。のぼりモウジはウグイ捕るのに使う。3月になると、ウグイが巣(産卵場所)を探して遡上するで、魚が登ってくる川のええとこをモウジ仕掛けるのために三角にせぐ。せぐっていうのは、石なんかよけれるものはよけて、魚の登りよいようにこしらえる。川全体をせぐんじゃくなくて、瀬でそういうのができるとこを見計らって作る。水の多いとこはようせがんから、水の多い所からちょっと水をとるような形で場所を作るとか、端(へち)の方をきれいに整備してせぐん。そいで、三角のとこでモウジの太さまで、うまいことせいでく。ここへ上がってきた魚はみんなモウジの方へ行くように仕向ける。

するんもそういう考えでせんと、ただ、石をしゃしゃっとして、モウジ浸けといたら、魚入るっていうもんやない。魚のくぐらんように、穴のあいとるとこに、側(がわ)から刈ってきた柴(*15)をねじこんで堰(せぎ)の石で抑えたりなんかしてさ。ウグイらでも豊富におったで、4月の終わりになってきたら、産卵するとこ探して歩きよった。誰でも大体元気な人はやりおった。5月以降になってくると、アユしゃくりするで入らんようになってくる。

のぼりモウジの大きさは手広げて5尺くらいの丈、口は大体30cmあって、尻の方は15㎝とか20㎝ぐらい、後ろ行くほど、しぼってく風にして作るでさ。材料は真竹を使った。作り方は誰にも教えてもらえへん。人の作ってるの、伏せといてあるの見て、こういう風にするんか、ああいう風にするんか見て。大きても具合悪いんさ、魚がようけ入った時にえらいしな。のぼりモウジはけっこう魚が入るの。一匹入ったら、つきウグイ(*16)の時期やっていうと、中で暴れたら、チチ(精子)とかコ(卵)とかモウジの中で漏らすもんで、それにつられてあがってくるんやでさ。せやで千匹上がってきたら、千匹とも入りこんでくる。

魚ギーギー言う程入っても、自分とすっと持ってけるぐらいのやつ作らんとな。入り口の方持って、水に逆らわんと陸(おか)へ上がって来たらええ。ようけ入っとる場合は、水の中でやらんと、提げてこられへん。尻は網とか被せて括ってあるで、陸(おか)へ上がってから、籠を受けといて、網を外したらさーと入ってくる。わし一人前になってからこののぼりモウジして、いっぱい入っとって、よう提げん時があった。

(*14)モウジ 魚とりの道具、竹製で魚が入ったら出にくい仕組みになっている。

(*15)柴  野山の生える小さな雑木

(*16)つきウグイ ウグイが遡上し、産卵場所に群れて集まる。3月末~5月。

11.くだりモウジ漁

くだりモウジは、アユ済んでから、やりそめよったな(始めた)。10月頃から3月頃までやりよったんかな。魚の産卵は4月頃から5月にかけてやから、10月頃っていうと餌食べて跳ね返しとる時分やで、ウグイ捕っても美味しいし、マスも捕れよったで。朝上げに行って、また、よさがた(夕方)上げに行きよったん。モウジを上げる折は、陸(おか)で尻を2、3回叩いたると、魚がどさっと出る。魚が豊富やったもんで、色々なものどんと入りよった。アユ以外は、アメゴ、ウグイ、シラハエ(オイカワ)、大きなマス、言うたら川におるものは全て入りよったんやで。

くだりモウジはのぼりモウジの反対にせぐ。本流の浅い瀬やなきゃあかん。10月頃の終わり時分になったら、まだぬくたい時にやるでな。なるだけ魚がうろちょろ来たら、流れ込んでいくように、日にちかけて荒い石、邪魔な石はよける。陸から、せぐのに4、5mぐらいは表みて、出てかな具合悪いな。丁寧な人はボサ(木の枝など)伐ってきて、石寄せたとこの穴を抜けてかんように詰めて伏せる人もおる。

くだりモウジは水の勢いで魚が下ってきて入るもんでちょっとおっき(大きく)せんことには魚の入りが悪い。口径が1mぐらい、口は大きても、作り方によったら丈は短かく作れる。竹があって、藤でこさえた輪っぱ付けたら簡単なもんで、年寄りのおるうちはよう仕掛けよったんやわ。尻でふくらまして作っておくと、魚入っても水が舞うもんで傷まへん。狭かったら、すぐ死んでしまう。モウジだけ作ったらええってのでは魚が入っても水の圧でもれてく。水がぐーと落ちこんどるで、合わしとる竹に圧がかかって開くんかな。1日見に行くのが遅れると魚が外へみてはみ出とった。

12.イシャドモウジ漁

イシャドモウジ

イシャドモウジは丈が30cmもあったら上等なん。小さいもんで、場所がええとこやったら簡単に伏せれる。伏せる時は瀬の水のじょろじょろしたとこせいだらええ。ナメがあって滝のごとくさーと流れるようなとこ。ああいう魚は自分の体出やんくらいの水が流れとったらええの。水を取り込んできて石と苔と持っていて、登るとこをこしらえるのな。イシャドやドジョウはそういう初めてのとこは好むんやな。モウジが小さいから、できることなら細う長ごう、登る場所を作る。長くても2mやな。のぼりもうじと同じように三角にせいだ頭へ伏せとく。ええ時やと1日でモウジの中いっぱいになったよ。朝晩関係なしに、場所作ったら、すぐ伏せとく。暇があったら1日に一辺でも二辺でも見にいったらええ。バケツ持っていくと半分くらい入っとる時ある。一升枡でいったら二升も三升も入っとる。

そのかわり、「土用」にならんだらできんの。「6月土用」って一番暑い時があるやないか、今の日にちにしたら、7月の終わり時分から8月の暑い時。そういう時期は魚は上がり下りするんやな。昔の人は「土用のぼり」って言いよった。魚は土用になったら、ここに住んでるやつが一旦上がるとか、そう言うよなことを自分らは聞いたことあるん。教えてもらったわけではなく「土用やで、今イシャドモウジ据えたらよう入る」ってな。

わしら子ども時分に作って伏せとくと、あらゆるもんが入りよったん。イシャドが一番たくさん入って、次はドジョウやったかな。イシャドへみて、ドジョウが絡む、それへむいて、カワエビ、昔はカワエビって言って、2㎝5㎜ぐらい、一寸(*17)あるかなしのエビが上がってきてな。ええエビやったやで、小指の第二関節ぐらいの丈でな。それと、アカイコ(アカザ)。あれ刺されるともう半日くらい痛いの。カブ(カジカ)やのチチコ(ヨシノボリの仲間)やの、タケイシャド(ヨシノボリの仲間)や、あらゆるもんが入りよったん。泳いどる魚は、小さいやつでウグイとかネギバイ(カワムツ)とかは伏せ方によってちょこちょこ入りよった。

捕れた魚は、砂糖だまりで、炒るっていうか、煮るっていうか、佃煮みたいな煮方をするわけ、それでおかずにして食べた。すぐに食べへんのやったら、モウジを川へ置いといて持ってこんの。イシャドウモウジの場合は、カケゴ(*18)の穴が大きいか、小さいかで、逃げてくかどうか出方が変わってくる。魚がいっぱいになってっきたら、中で浮くから、ひゅっと出てくやつもあるし、その時に作って、色々と知恵出して改良せんと、なんでもええというもんではない。初めて作った時は立派なものはよう作らんで、だんだんとしとるうちに、1回は2回、2回が5回と上手になっていく。

(*17)1寸 約3㎝

(*18)カケゴ モウジの入り口につける窄めた筒。一度通ると戻れない仕掛け。

13.色々な魚

子ども時分に、何でタケイシャド言うんやって思ったら、夏よう観察しとると、口開けてよう怒るイシャドがおるんさ。おんた(オス)みたいな奴で、何をしとるんか知らんけど、相手に怒ってくような、人間で言ったら喧嘩売ってく、それをタケイシャドって言うてな。普通のイシャドとはちごて、ちょっと豪傑っていうんか、喧嘩たれみたいなイシャドやわ。体は普通のイシャドよりもちょっと大きいな、頭はでっかかったん、今でもおると思うよ。

チチコっていうのは、首からすぐ下がったとこに吸盤が付いとって、吸い付くん。瀬、上がるんでも、スッーと行ってスッーと吸い付く。イシャドやったらきついとこ登るんは登るが、止まれない。チチコは人間で言うたら、みぞおちのとこに水盤が付いとんの。上がってくごとに吸い付いて上がってきよったもんで、チチコ(乳子)て言う。

伊勢湾からゴチって言う、チチコによう似た黒い色した魚が上がってきたことあるんや。八月の土用のぼりで来よったん。普段はいない、いつ下ってくいうようななしに下ってくんやな、チチコは残るん。わしらも川へじっと(ずっと)行きよったから、あれ妙なもんおる、チチコとは違う、黒いもんおるやないかって、捕ってみると、10㎝ぐらいの大きさあるん。黒くて大きいもんで、ようけ目についたん。今までおらんだのに、8月頃になってくるとそんなもんがおるってことで、わしら子どものうちで、「何やろにゃ」てことになったん。親らも知らんだけど、ある人がこれは「海から上がってくるんやにゃ、ゴチっていうんやにゃ」て。

今はあれやこれや言ったて、魚がおらんでな。昔から最近まで残っとるのは天然記念物になったカンパチ(ネコギギ)、赤いアカイコ(アカザ)、なんやかやとあげてみたら、今までおった種類の半分はおるかな。

平成16年の災害で、川は何もかも被害受けたでな、おるかおらんか。ここ2、3年思うように川へ行かんださけにな。イシャドやドジョウはおるけど資源少なってしもたわな。

14.ウグイ捕り「霜より」

冬は「霜より」って言うて、霜の降りる朝になると、何で出てくるんか知らんけども、15㎝から20㎝までのウグイが、入っとるガマから出てきて浮いとりよったん。朝出てきて、日ががんがん照ってきて、昼頃まではいごかん(動かない)でな。「外みて、ああ今日は霜ごい(濃い)にゃ」っていう時、わりかし風ふかへん静かな日。夜でも冷えると、朝、霜で真っ白になっとるけど雪は積もってへん。そんな日に自分の棲みかの上むいて、浮いとるウグイ見つけたら、自分とひとり、セムシ(*19)を捕ってそおーと釣りに行くん。セムシはその時分どんとおりよったから、ウグイ浮いとるとこみて、十ばかセムシをぽーいっとほったるん。そすと、ぱっぱっと食いに来る。そうしたらしめたもんや、80匹や100匹釣るって、わけなかったん。

(*19)水生昆虫トビゲラの幼虫

15.小鷹網を使うウグイ捕り

10月過ぎから、夜網して、ウグイとった。「小鷹」っていう網を作って、ウグイの入っとるガマへ巻いといて、竹の棒の長いやつ持ってって、ガマをガサゴソ、ガソゴソ、突いておくと、その夜、びっくりかえって出たやつが、網真っ白になってかかりよったんやで。1月でも2月でも雪降ったさけ出てくるんじゃなくて、霜朝程ようかかりよったん。寒い時期やろ。春の子、卵持っとるし。よう肥えて、美味しかったよ。ようとって食べよったよ。

小鷹の網は、今と昔とは違う。昔の「小鷹」は今で言う刺し網みたいな、糸の細かい長方形のちっしゃい(小さい)網。自分と目こしらえて作りよった。今の小鷹網ではウグイはとらん、アユだけ。今はナイロン糸やけど、その当時は網作るのに「きおり」っていう、魚釣る糸が売っとったん。立派な糸は無かったもんで、長いこと使うとばさばさになってきて、プツンと切れてきよった。太さは、4毛か5毛(*20)、1厘(*21)もなかったんちゃう。釣りするんでも、そんな糸しかなかったん。そういうな糸で網作りよった。糸網は売っとったけどな、みんなちいしゃい(小さい)網は、暇あったら、目作って、一所懸命編んでも3、4日かかったん。下手すると一週間かかる。作る目はウグイが大きいもんで寸2(*22)ぐらいの目にしよった。丈は3尺~5尺、幅は6尋。長(なご)て、辛抱して作った網でも10尋くらい。5尋、6尋の網をガマが広かったら2反も3反も繋いで巻きよった。そやで、網の目をすくう櫛(網針)を自分で作って、目を直したり、網のやぶれを直したり。櫛は網の目の大きさによって、孟宗竹で作るの。みんなそれぞれ、おうた櫛を作らなあかんの。大きいの作るんやったら簡単なんさ。目の細かい櫛作ろと思うと、ちぃしゃいのは割れてったりするで、難しいんさ。それかて、細せな目が通らんし。

(*20)4毛か5毛  約0.12~0.15㎜

(*21)1厘  約0.3㎜

(*22)寸2  約3.6㎜(1寸2分の略)

網を作る道具 櫛(くし)



活気あふれる宮川と川漁  ~自然を見つめ、工夫と努力を重ねた魚捕り~ 終了



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