宮川漁法ミュージアム

宮川流域の漁法・水辺の暮らしの聞き取り

清流宮川の眼鏡引き ~鮎がえり滝の歴史を今に伝える~

中川宗夫さん

1.生い立ち

名前は、中川宗夫(なかがわむねお)。昭和4年11月15日生まれ、87歳。数えで88歳、厄年やわ。僕はもう生まれも育ちも大台町領内地域です。生まれは領内の南(大字)やったんさ。初めの姓は保田です。婿さんでここ神滝に来たわけや。11人兄弟の次男で、上は4人女、兄貴が1人。僕の下はみんな男。

小学校は領内小学校で同級生が60人おった。6年卒業したら、すぐ高校行きよった。

松阪工業学校、応用化学科。その当時、僕のクラスで高校行ったのは2人しかおらんだ。女1人と男1人。行ける能力はあったんですが、金がかかるし、難しかった。高校は4年制やったけど、行っとる時に5年制と4年制の切り替えがあって僕はもう1年行きました。その頃は昭和22年。学徒動員で5年も勉強してない。松阪から電車に乗って、津の松下電工へ勉強やなしに働きに行っとった。勉強したのは正味3年ぐらいやわ。あとはもう勤労奉仕で、鉄砲の弾作ったり、ネジ作ったりする工場に行ってました。食べ物も本当に質素なものでしたわ。麦飯の中に乾麺が入ったもん食いよったんや。それでも腹減ってな。戦争時はええ物は着れん、うまいもんは食えん、働く一手やでな。

そいで、卒業して、就職です。うちに帰ったら、先生やれって、領内小学校に赴任した。今の小学校のグラウンドの辺りに前の学校の建物があった。2階建てで、材料は全部アメリカから買うた材料で建っとった。領内小学校に20年くらいおったやろか。ええ学校でした。それから、大杉の小学校に変わって、おもしろい学校でしたんやな。わあわあ言うてな、子どもらもええしな。冬なんか、石油買えんで、杉葉拾てきて、ストーブ入れて焚くで、朝学校行くと、学校中煙だらけやった。

2.昔の川の様子

川にはアユ、アメゴ(アマゴ)、アメゴによう似た魚もおったんですわ。三瀬谷ダム(*1)が出来てから、魚種も変わってきてな、そんなに食べられる魚がおらへん。昔は上って来る川マスって言うのがあったんです。30~40㎝はあるマスです。重さで言うたら200、300目(*2)(750g、1125g)ぐらいありよったんですな。ちょうどシャケですわな。どういう風に上ってくるかというと、アユを餌にしながら上ってくるんですわ。そやでアユが来るのと、マスが来るのと同じ時期なんです。アユを追いながら、食べながら上ってきよったんです。僕らが小っさい時にはカワウソもおったんですよ。

ウナギもおったおった。ウナギはぬるぬるでしょ、鮎かえり滝にはようけウナギがおって、草履をはいてウナギの上に乗って、滑りこんで死んだ人がおった。朝なんかはダーと雲がきれて、露がきて、石が濡れますやろ。その石の濡れとるとこ、ちょうどえんぴつより細い、割り箸みたいなウナギが上って行くんです。ウナギは一旦海で大きくなって、川上へざーと上るんですんな。ちょっとした、じゃらじゃらした水が落ちてくる滝のガマ(*3)のとこで、てあみ(タモ)を入れて、手でかき込みますと、ウナギのちっさいのが半分くらい入りよったんです。そやで、大杉では今の宮川ダムから上、ずーっと行くと怖いぐらいおった。それが宮川ダム造ってしもた、塀ができましたやろ、しばらくたったら三瀬谷にもダム造って、魚道をつけろという話があったが、作るのにものすごいお金がかかる。そのかわり、ここへ放すアユ代は何年でも保障すると。ウナギは放しませんから。それはもう色々な魚おったんですが、他の魚もウナギも見なくなった。

(*1)三瀬谷ダム 昭和42年完成した。宮川本流、大台町三瀬谷地点に位置する。

(*2)目
尺貫法の質量の単位。(10目=10匁(もんめ))(1匁=3.75g)切りのいい数字の時に“匁”を使わず“目”を使った。

(*3)ガマ 岩のすき間、窪み、穴

3.子どもの頃からの川の思い出

僕の親父はアユ捕りやマス捕りも上手で有名でしたんやに。マスは長いモリでつきよった。水の中潜っていくと、モリの方向が分からんくなる。白い布をモリにくくっておいて、それを目印に針が魚に刺さるようにした。夏はアユ捕りで、冬は鉄砲で動物を捕りよったんですわ。それはもう親父ら毎日捕ったでな。親のしとったもんは、みなしますに。分かってくるでな。

僕が眼鏡引きをはじめたのは小学生の頃。小学1年生や2年生の時は学校をはよ(早)帰ってくるので、父親が川行っとると、母親に弁当持ったってくれって頼まれた。父親のとこ行くと、父親が飯食うのに、竿置いとるやろ、その間竿触らせてもらった。そうやって覚えてったん。親父の後ついて、覚えたことなんやわさ。勉強するより真似する、人の真似する方が上手になりよったわな。小学生の頃は夏、よく川に行った。川しかあらへんわさ。竿も軽いやつ作らな手がかいだるい(*4)で、自分で研究して作った。

僕らは高校行って、夏休みがありましたもんでな、うち帰ってくるとこれですわ。アユ捕り。ここら辺の谷は全部行ってきた。大杉も行ってきたし、領内でしょ、荻原、栗谷、真手、三瀬谷。僕はだいたい川入ったらどこにどの石あるか分かっとる。ダムができてからでもアユ捕りしよったんやけど、だんだんだんだん捕れんくなった。地蔵(*5)の下は水が多く、本当によう捕れた。ダムできたらみんなあかんと思っとったけど、今は水が少ないであかんの。

(*4)かいだるい けだるいこと

(*5)地蔵 大杉谷地区岩井にある地名

4.ガンガリ(眼鏡引きの漁法)

昭和30年~40年代 眼鏡引きの様子

ガンガリには2種類ある。「眼鏡引き」と「めくら引き(*6)」。眼鏡引きは箱眼鏡(水眼)を覗いて、水中のアユを見ながら針を引きますんやで。そやで眼鏡引きっていう。今は水中メガネを目にかけて、もぐるのが流行ってます。あれやと自分が川へのたらん(寝そべること)とあかん。僕は箱眼鏡専門で、魚捕りしてきたんや。この写真見ると私らは座って、道具もちゃんと持ってますやろ。そすと針傷んだ時には針変えたり、糸手繰って切れた時には変えたりできる。

アユのおりそうなとこ仕掛けを浸けて、引いたらすぐアユはかかる。それでも、そのアユがおりそうなとこ分かるのに年季がかかる。水の流れをみて、泡トンボ(*7)が横にあるし、こっちゃの方が広いし、どこら辺におるかっていうのが分かるわけ。そして、アユがこの流れにおったら、この分銅の重さで、ここら辺に放り込んですっと沈んだら、ちょうどアユのとこ行くっていうようなコツを早く覚えなあかん。

箱眼鏡で覗いといて、おっきいアユから引くの。アユが横切った時、仕掛けをすーと流してちょんと引くんさ。アユが針にかからず、仕掛けが川底に沈むとアユは嫌がる。仕掛けを放り込んでも、アユは動くし、水の流れにも左右される。仕掛けがアユの遠くやったら、かからんし、アユが逃げてく。勘を十分働かせないと、カス(空振り)ばっかしとらなあかん。

今日はいくつ捕ったって。楽しいんな。多い時で、1日30、40捕るんな。アユが大人しいのは朝やけど、見えたら、夕方の方が捕れる。水の中が見えるまでできる。ちょっと水出た後は、濁っとるで、遠いとこ見えんしな。

アユを捕るのには静かにせなならん。相手も生き物やでな。それを素人に限ってな、ざばざばざばって入ってって、アユ追うといて、ばっとのぞくもんで、おらんって。そら、おらんさ。アユの方が賢い。絶対静かにな。どんな音嫌うかっていうと石と石をゴンとやるやろ。あれが一番あかんのですわ。水が媒介して遠いとこまで聞こえます。「ゴン」としたら遠いとこのアユがぱーと逃げますわ。じゃぼじゃぼして人間おるて分かりきったようなことしとったら絶対に捕られへん。箱眼鏡もそーっと上げるの、ざーと上げたら、びゃーとアユが逃げてく。

他にも、滝の上で水がじゃらじゃら落っとるとこで、ガンガリで引きよった。溜り場のあるようなとこへアユが来て、皆まとまるん。すぐ近くをアユが通るので、2間(*8)(約3.6m)より短い竿で捕った。

ガンガリでも水中を見ないでアユを引っ掛ける漁法は「めくら引き」って言う。水が濁っている時に長い竿でアユがおりそうな所に目安をつけて引っ張る。おるかおらんか分からんとこ、引いてもそれでもかかる。

(*6)めくら引き 視覚に頼らず、勘でアユを捕る方法。
※お断わり:話し手の言葉や方言を大切にして文章をおこしています。漁法の名前として残っている言葉で、差別的な意図はありません。

(*7)泡トンボ 川の水が泡立って白くなっている所

(*8)間 尺貫法の長さの単位。(1間(けん)=約1,8m)

5.魚の持ち帰り方法

(*9)ガンガン

腰籠(こしご)

捕ったアユは「腰籠(こしご)」という、草入れるカゴを腰へ巻いて行って、入れるんですわ。ある程度重たくなってくると、ガンガン(*9)入れておいた。上の網を絞って、石を置いて流れてかんようにしておいて、水に浸けておくの。昔は、川の水そのものが冷たいですわな、魚がなかなか腐らんだんですよ、それで傷みがなかったんです。捕ったアユは活かしたまま持って帰った。早うせな、ぐずぐずしとったらあかんの。ガンガンにいっぱい捕るので、下げてくるのがえらかった。

(*9)ガンガン 缶でできたアユ入れ

6.手作りの道具と工夫

箱眼鏡と短竿

水眼は手作り。今使っている水眼には、昭和61年、神滝、中川って書いてある。材料の木は杉。軽いもんでええんさ。竿も全部自分で作りましたんでな。材料の竹は川にある川竹。山竹、川竹ってあってな、本当は山のやつがええん。枝にこぶがないやろ。川竹はこぶをとったると平たになって、じっきに折れるん。最近は川竹も無いな。竹を接いで、長さを調整する。竹を接ぐと竿の弾力が良くなる。

これは短い竿、短竿(たんざお)。長さは2間(約3.6m)。片手で持つだけやで。

長竿を手入れする宗夫さん

長いのは両方(両手)とで持つわさ。これは「がまかつ」(*10)の竿。もう僕が若い頃(※昭和20年代~30年代)には竹以外の材でできた竿があった。長いのは3間半から4間半(約5.4m~7.2m)。僕の愛用の竿は3間くらい。僕らは竿ようけ持っとるよ。

もちろん昔は竹で長竿も作っていた。3本の竹を接いで4間にしていた。長い竿は水が大きいて、水がゆれとって、めくら引きでアユがおりそうなとこ引くのに使った。

(*9)がまかつ 釣り道具の会社名

7.眼鏡引きの仕掛け

眼鏡引きの仕掛け

これは眼鏡引きの仕掛け。こういうのもみんな作るん。針は買うてくるの。仕掛けの長さは竿先から持ち手の手前30cmくらいのとこに先端がくる。しわる(しなる)でな。手で重りがつかめるような長さに調整する。

眼鏡引きの針の数は僕が考えたやつで3つしかつけやんの。よけ(沢山)つけると水かそぐ(水の抵抗を受ける)やろ、水かそぐと、分銅がついとってもな、糸を手繰った時、アユに針がかからない。できるだけ針へかかる負担を少のう(少なく)するのに。紀州ではこの針一本でやっとる。ほいで、もっと大きな針でな。

めくら引き用は針を5つつぐらいつける。めくら引きの方がアユを見やんと、アユのおりそうなとこ水の中を引っ張ってくるんやで、ようけ仕掛けをつけやなアユがかからん。

仕掛けは水の大きい時、水の流れのきついとこやったらちょっと大きい重り使わなあかん。糸の太さもちゃんと自分で考えなあかん。これでやると弱いとか、これもうちょっと太ないと切ってくとか。

8.重り

手作りの重り

色付きの重りは僕が考えたん、それが今、眼鏡引きする人の仕掛け、みんなこれになっとるん。それも全部自分で作るの。眼鏡引きの重りはだいたいこんな小さいの。水入れた時に見にくいんやわ。そやでよう目立つようにペンキで色を塗りよったん。白いの塗ってみたり、赤いの塗ってみたり、最後に黄色になった。黄色がええっていうのは、白やったら泡ばっかの中引いても、白やで分からんわな。黄色やったら分かるわな。黄色を放り込むとな、泡トンボにおるアユがな、アユのここ(*11)黄色いやろ、それと間違えてババッと出てくるんさ。あっ、あんなとこ大きいのおるんや、こいつは捕ったろて、そいで引いてきよったん。

(*9)アユのここ アユの体側、胸ビレの上辺りに現れる黄色い斑点

9.糸

針をくくる繭の糸

これは繭の糸。おばあさんが作っとるの知っとったもんで「わしら川行く時に、ガンガリ(*12)くくるのにええもんで糸あらへんか」って聞いたら「よしよしやるぞ」ってもらった。あんたら紡いだ糸を見たことないやろ。この糸をずーと引っ張って、撚ったら絹糸になるんやで。これは撚りがかかっとらんでええの。撚りがある糸はくくった時に隙間ができて、ずれてくる。これでくくると糸に厚みがないので、糸と針がぺたっとくっつく。2本の針を背中合わせにして、繭糸を2本か3本束にして巻くと、ピシッとくくれて絶対ガクガクせんの。

(*9)ガンガリ ガンガリの針のこと

10.針

背中合わせにくくった針

この針は上が四角なっとるやろ。針金をびさいで(押し潰して)あるの。平たいとこあると背中と背中ぴしゃっと合わせたら合うわな。こいう針やないとあかん。四角のとこと四角のとこが合うでくくった時、回らんわさ。今は古い釣り具屋行って、昔の針見せてって行かな無い。そういう漁法で捕っとるとこは少ないんさな。ええ針ができよったんやけどな。今はそんな針が無いんで、水中用のボンドがあるやろ、それ塗って、くくって回らんようにしとる。針も色々で形が良くても、刃先が弱いやつがあるの。そやけど、ええ鋼使っとるやつは絶対刃傷まん。

11.鮎かえり滝

神滝の下に「鮎かえり滝」という滝がありますやろ。三瀬谷ダムができる前まではアユがよう上りよったんです。「かえる」には「滝が急峻でアユが跳んでも上れないので、あきらめて下へ帰っていく」ということと「跳んだアユがひっくり返る」ことの二つの意味があるんです。アユはもうとにかく、上るという性質があるんですな。跳んで、落ちて、また跳んで。ちょっとが水あったら上ってきますでな。草履はいて川上がってくと、アユは上ろうという意識で鼻緒の所まで入ってきよった。アユ返り滝を登ってくアユはまだ幼魚、10㎝ぐらいまでのアユ。そのアユが小さくても、また美味しかったんですな。

鮎がえり滝

滝見て、アユが跳ぶところを見てもらわんと分からんけどさな、それはもう無数に跳ぶんですわ。白いとこへ、ぱんっぱんっぱんっぱんっと。よう跳ぶときは、真っ白なとこ、跳ぶもんで、黒うなるんです。そこで、「アユすくい」と言って、おじいさんが白い滝の下へ網を持って待ってるんですわ。ぱーと跳んで登らんだアユが流れてきて入るんです。年寄りはようけ捕りよったんです。この滝でそれができよったんです。アユかえり滝っていのはこの地域の最大の娯楽でした。

そやであの滝で祭りをしよったんです。6月1日、みんな川行ってアユとってええという日、解禁日にしよった。その日はみんな学校も休んで、父さんの後ついて、子どもらも行きよった。歌を歌って、騒いで、遊びよったんです。ご飯炊いて、うちで作ったもの持ち寄って、食べてな、お酒も持ってきて飲んでな。来てくれた人にアユ焼いて、食べてもらった。餅まきもしよった。みんな喜んで。僕が小さい頃から祭りはしとったけど、ダム出来てからかな、自然と消えていった。この滝のことは、川の昔からの歴史として後世に伝えていかなあかん。

解禁日からはアユが捕れるんですけど、捕る方法でブレーキをかけているんです。6月1日から眼鏡引きができるかというとそういうわけではないんです。友釣りが一番先、ガリ引き(ガンガリ)、しゃくり(*13)と解禁になるんです。

ガンガリやっとったのはここのヘリ。(※写真(1)の部分)水が落ちるで泡トンボやけど、ふこ(深)ない。けっこうな水ですわ。あまり浅いとこはガリガリガリ音をさせてしまうで、捕りにくい。

もともとこの岩と岩がつながっとったん。(※写真の(2)の部分)昔は川で木を流して運んでいたので、浅いと木が詰まり、傷むから、岩を割ったん。割った部分に水が来るようにして、木を流すようにしとったん。僕らが子どもの頃には出来とったかな。

(*13)しゃくる 竹竿の先につけた一本針で引っかけて捕る漁法。

12.昔のアユ

滝を越えて上ったアユは良く育つし、元気なんです。滝の上は水はきれいやし冷やかい、藻もええのができます。しっかり餌を食べてくると、頭の上がぎゅっとかぶって(盛り上がって)くるんです。そやでなかなか掴めんぐらいですわ。頭から背びれにかけて上へばっと張ってくる。今は放す(放流する)アユなもんで、形は似たのができますけどな、自然に育つアユと違う。昔のアユは手ではにぎれんぐらい、大きいんですわ。一匹で100目(375g)あるんです、100目アユって言うてた。今はgで言うけど、僕らは尺貫法で言うて、匁、100目、200目とか、一貫、2貫とか言いよったさな。それはもう立派なもんでしたわ。それを一匹腹抜かんと、そのまま焼いて、しょうゆや塩でもつけて、頭から全部食いよったんです。細かいアユは尻尾に針金を刺して何匹かまとめて焼いて、大きいアユは1匹づつ焼いた。炭火で焼いて、ぬくたい(温かい)うちに食べるんがまた美味しいんです。

13.アユの金額と給料

就職してからも、夏場暑い時は7時頃まで明るいで、帰ってきてすぐにアユ捕りに行くん。先生しとったで夏休みには自転車でアユ捕りに行った。アユ捕り好きな隣の人と仲ええもんで、よく一緒に行った。俺がとった分、おまえがとった分やなしに、一緒に捕って、売って、金も半分にしよにって。アユは食べる時もあるけど、売ることが多かった。三瀬谷に2軒か3軒かアユ買いさんというのがいてな、自転車の後ろに木箱を積んで、水入れて来よったん。その人が捕ったアユ、全部秤のせて、重さで値段に換算してくれた。眼鏡引きのアユは小さい針でアユを捕るので、アユにつく傷が小さい。しゃくるのは大きな針を使うので、傷が大きく早く死ぬので、アユの鮮度が落ちる。せやで僕らのアユは活きが良くて高く売れた。だいたい、一週間分のアユ代をまとめて持ってきよったんですな。1週間で3000円も捕りよった。その頃に僕ら先生の月給が260円。アユ捕りに行って、ひと夏で月給よりだいぶ多かった。先生の月給では、松阪にもどこにも行けへん。バスに乗ってかなあかんですやろ。アユ売ったお金貯めておいて、遊びに行きよったんです。山から木伐ったり、出したりする山いきさんは月給1000円。先生、公務員の若い人は260円。昇給があるっていうと30円か40円上がる。その頃、田中角栄が先生の給料安いってことで、給料表作って、値上がりした。

14.ガンガリの起源イカリ

「ガンガリ」の起こりはな、「イカリ」を使いよったんですわ。僕らとこの親父がやりよったんです。イカリがガンガリに変わってったんでしょうな。イカリ、ガンガリ、ガリ。今はガンガリの呼名がさらに簡単になってガリって言うんです。

イカリの作り方

イカリはガンガリと針が違って三本。周りに針が3本出たイカリ型の針を自分らで作りましたな。ハガキを巻いて、漏斗状にする。中心に針金3本を入れて、解けた鉛を入れるんです。鉛が固まったら、3本の針金を違う方向に曲げて、針の先をヤスリですってちょんちょんにする。ガリに比べて針が大きく、太さも鉛筆の芯ぐらいあるんです。

イカリの使い方

鉛の大きさは自由。大水の時は大きいの使わなあかんし、小さいイカリも作ってやるんですわ。今、使っとらんもんで、ひとつでもありゃええんやけど、作っとらんのですわ。 漁をするときは、ガンガリと一緒。イカリの仕掛けは1つだけ竿につける。川へぼーんと放って、アユが反った時に針へかかる。砂地に大きなアユがほうとる(はう)ところがあるの、そういうペタッとくっついとるようなアユを捕る時はイカリを使うの。イカリはガリと違って、川底に落としてもイカリの下の針が砂の中に入る。川底のアユの手前に仕掛けを落とすと、針が上がってくるときに、アユの体に針がかかる。そればっかりではないけどな。そういう良さがあるの。ガリも下に重りがついているけど、砂地のアユはかかりにくい。泳いどるアユを引かんならんのやでな、色々と研究しとるとな、ようけとるわな。



清流宮川の眼鏡引き ~鮎がえり滝の歴史を今に伝える~ 終了



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