【本日のルート】玉城町田丸から多気町女鬼峠を抜け大台町栃原を目指す15㎞。地道は女鬼峠の約2キロ。あと約15キロはアスファルトです。まずは田丸駅を出発です。田丸駅舎は昔の風情を残しながら建て替えられた素敵な駅舎です。
昔からの巡礼のお人形さんたちはそのままです。
熊野街道(熊野古道伊勢路)、伊勢本街道など三重県の主要街道の追分を見に行きました。
さすが「出立の地、田丸」すごいです。
【本日のガイド①】御村先生
ここのガイドは御村先生。以前玉城町観光協会にお勤めで、度会町の生まれ育ちです。熊野別街道が度会を通っているので詳しい。
玉城町は伊勢路北部周辺でもトップレベルに文化力が高い町です!町の至る所に歴史を紹介する看板が掲げられています。ちなみに玉城町史は資料集も合わせると全10巻。
西国三十三所図絵で有名な蚊野の松原は現在は柿畑です。
【本日のガイド②】奥村先生
石佛庵からは奥村先生がガイド。女鬼峠保存会の副会長も務められています。この石佛庵はすごいですよ~。まずこれからお参りする西国三十三所の石仏がどどーんと揃っています。
ですが、ここはこれから行く巡礼への期待感を高める仕掛けであったといわれています。西国三十三所だけではなく、金毘羅さんまであるんです。遠くは金毘羅さん迄ついでに足を延ばした巡礼もいるそうです。何千キロもの旅路となったでしょう。
これは天台宗系国束寺の「元三太子」の護符とのことです。
また追分 和歌山別街道との追分です。
保存会の方が発掘された江戸道を通りながら峠の如意輪観音堂へ。
如意輪観音様は青岸渡寺の観音様でもあります。
お堂の横には穴の開いた石が紐に通されお供えされていました。民間信仰の一種で「耳がよく通るように」というおまじないです。
柳原観音様です。
こちらには古道沿いでは珍しい押し車に乗ってきた人が歩けるようになり、不要となった押し車を収めたといわれているお堂があります。宗教における奇跡の事例は世界中で伝わっていますが、こちらにも奇跡の話がありました。ちなみに私大西は大台町出身ですが祖母、曾祖母はしょっちゅう柳原観音さんにお参りに行っていました。
沿道沿いはすでに春。蝋梅が美しい。実際に江戸時代の巡礼も農閑期に行われていました。きっと巡礼者も春を見つけながら歩いていたでしょう。
【今日の巡礼ファッション】
本日の巡礼ファッションは伊勢木綿の着物に菅笠、西国巡礼のおいずるです。田丸で巡礼者はこのようなファッションになったでしょう。
このおいずるは昨年踏破時に身に着けていたものなので、既に背中に御朱印をいただいています。